お立ち寄りありがとうございます。ぴろりんこです。
幼少期から、朝食には必ずミルクティとパンが並んでいました。そいういう記憶が作られています。朝はパンとミルクティ。これが、私の息を吸って吐くような習慣でした。
でも、ミルクティやめました。
朝食のミルクティをやめました。半年以上前にミルクティに入れていたほんの一サジの砂糖をやめていて、甘味なしか蜂蜜にしていましたが、とうとう朝の紅茶もやめました。
「その紅茶、やめられませんか?」
前回の症例検討会(分子栄養学セミナー)で、聞かれました。
「その紅茶やめませんか?」
えー!!!
朝の紅茶もダメなの???
「朝からカフェインドーピングしないと動けないってことか」と言われてしまい、「いえいえ、そこまでカフェインに依存していません。むしろ習慣です」と、その時は言い訳しました。
朝も苦手だけど、会社も学校も遅刻するほどでもなく、朝食もしっかりとって出動しています。朝食は抜かない派です。食欲あります。だからそこまで弱っていないですって話です。
その習慣は本当にやめられないのか?
母と姉と私。女3人の気楽な家庭に育ちました。そして、私たち姉妹は家の習慣を大事にしている節があります。
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家族の習慣で思い出すのが江國香織さん。
江國香織さんの小説の家族の描写は、かなり風習にこだわりがあって、自分のこだわりを愛していますよね。間宮兄弟に出てくる姉妹の描写は、「あるある!」となりますし、そんな描写を「好きだなー」と思いながら、我に重ねながら読むわけです。まさしく我が家もそんな感じなのです。
「ミルクティを飲まないと始まらないよね」これは我が姉妹の合言葉のようなものでした。ミルクティはあって当たり前。朝はレモンではなくミルクなのだよ。外ではコーヒーを飲むことはあっても、家ではミルクでしょ。百歩譲ってカフェオレでしょ。
こんな風に家の習慣を愛していましたから、「朝のミルクティを止める必要あるの?」と思ってしまうのも致し方ないことだと思いませんか?
こだわりは何かと言えば、昔懐かしい幼少期からの慣れ親しんだ習慣だけです。
変えようと思えば変えられないこともない。執着する必要あるかな?翌朝からそんな風に思い始めることができました。
ハーブティ始めました
ちょうどカフェインフリー生活を始めようとハーブティを買ってありました。今はそれをミルクティ代わりに飲んでいます。
今日、久しぶりに母がお茶を入れてくれたら、当然のことながらミルクティでした。笑
ありがたく頂戴しましたが、マグカップ1杯飲めなくなっていました。なぜでしょう、不思議です。
慣れ親しんだ習慣を手放して得たもの。それは自由な思考
馬籠さんに個人セッションしていただいた時にもカフェインの話が出ました。
その時は、「え?そこまで?朝紅茶やコーヒーを飲むって普通でしょ。じゃあ何を飲めばいいの?」と思っていて、実際に行動しませんでした。習慣の執着を手放せていなかった。
朝の習慣を手放しても、当たり前ですが、人生はなにも困ることは起こりません。むしろ選択肢は広がったと思えることさえあります。
これだけ情報が溢れているのですから、面白そうなことは積極的に試したい。食習慣の変革は、まだまだ続きます。